「プロジェクトX」
2000年12月19日(火) 0143 |
今年の3月からNHKテレビで放送されてきた「プロジェクトX」という番組のファンです。 毎回欠かさず見ているというわけではないのですが、 見る度にプロジェクトを組織し、目標達成のために過酷な試練を乗り越えてきたプロジェクトのリーダー、 そのリーダーと一体となって働いたメンバーたちの血と汗と涙の物語に とても感動します。見ているわたしもいつも涙が出てきて困るのですが、 我が家のむすこたちもこの番組のファンで中島みゆきのテーマ曲、エンディング曲も心にしみて、 そしていろいろな困難にも立ち向かっていこうという気持にさせてくれる名曲が大好きです。 今日は「女たちの10年戦争」〜男女雇用機会均等法誕生〜が語られました。 |
2000年12月19日 00時00分00秒 |
肉じゃがの「肉」
2000年12月16日(土) 0142 |
みなさんのご家庭では肉じゃがを作るときに、使う「肉」は牛肉ですか? 豚肉ですか? それとも他の肉? わたしは九州出身という土地柄もあるのだと思うのですが、 肉じゃがの「肉」は牛肉以外には考えられません。 しゃぶしゃぶの肉も絶対に牛肉と決まっています。 カレーだって実家では基本的には牛肉のカレーだったと思います。 わたしが東京に出てきて、肉じゃがに牛肉以外を使うというのを聴いた時は、 |
2000年12月16日 00時00分00秒 |
好き嫌い
2000年12月15日(金) 0141 |
子どもの頃、わたしは干しぶどうと干し柿が苦手でした。 干し柿はあまりしょっちゅう食べるものでもありませんし、「いらないよ」と言えば済んでしまうものですが、 干しぶどうは少々問題ありでした。ぶどうパンが学校給食に時々出されたからです。 わたしは好き嫌いがごくごく少ない方ですし、食いしん坊なのですけど、 子どものころに、赤い箱入りのたぶんアメリカ製だったと思うレーズンをいただいても、 一応「ありがとうございます。」とはお礼申し上げるのですが、 食べてみることさえ、しなかったはずです。 干し何とかというのが苦手だったのです。 でも干しアンズや干しバナナ、干しりんごなんかは良く食べていたと記憶しているので、 干し何とか全般ば苦手だったわけではありませんでした。 そのころの学校給食にぶどうパンというのがあって、 これは一般的には普通の食パンよりも甘みがあったりするので、 そんなに嫌われるメニューでもなかったのですが、 わたしにとってはぶどうパンなんて存在しなくてもよいと思えるほどの嫌いな食べ物でした。 そのパンが出ると、なんとか干しぶどうの入っていない部分を少〜しだけ口に入れて食べることはできましたが、 それでもやっぱりそこも干しぶどうの味がするので、 だんだん気分が悪くなりそうで、飲込んでしまう程でした。 そうやって干しぶどうはわたしが積極的に食べる食べ物ではなかった時期がしばらく続きました。 でもいつの頃からでしょう、干しぶどうが苦手でなくなったのは・・・。 |
2000年12月15日 00時00分00秒 |
久々の「Cherry Pie」
2000年12月13日(水) 0140 |
昨年、学校で開かれたクリスマスソングパーティでデビューした職場のリコーダーアンサンブル 「Cherry Pie」ですが、今年もまた教職員、学生ともに楽しむクリスマスパーティに参加して リコーダー演奏することになりました。 このところメンバーが揃わず、練習もお休みの状態が続いていたのですが、 「クリスマスパーティで演奏しませんか?」と今までのメンバーやアンサンブルを一緒にやりたいという 新たな人にも声をかけてみたら、なんとか4人の面子が揃い、 アンサンブルができることになりました。 リコーダーは一人で吹いても、楽しくないのです。みんなでやるから楽しい!って面がかなりあるよね。 そのクリスマスパーティで演奏するために、本番の数日前から昼休みと終業後の時間に 練習をかさね、本番に備えていました。 メンバーはかおるさん、ひろこさん、きょうこさん、それにわたしです。 きょうこさんは新しいメンバーですが、 彼女は昨年の「Cherry Pie」の演奏を聴いて、リコーダーを始められたようです。 譜面を読み、指を動かして楽器を演奏するのは老化防止には最適の趣味ということで 教会に通うお仲間とともにリコーダーの練習をなさっているそうです。 「リコーダーをやると、人に逢いたくなるのよね」と彼女がおっしゃるように、 また他のアンサンブルの仲間を求めていらしたところだったのです。 クリスマスキャロルを数曲演奏するために、本番前の数日間、練習しましたが、 最後は夜空に美しく輝く大きなクリスマスツリーのイルミネーションの下で こういう集いを設けて、プログラムを作るっていうのはレクリェーションとしてとても大事なことだと、 |
2000年12月13日 00時00分00秒 |
「黄色いさくらんぼ」
2000年12月09日(土) 0139 |
毎年今頃催される、職場内にある保育所のクリスマス会が開かれました。 現役で保育所に通う子ども達とその親、お世話してくださっている保育士さん、 OGやOB達、そしてその親、そしてその昔保育所でお世話してくださっていた保育士さん達など、 総勢50人近い人が集まってクリスマス会を開きました。 会の準備は我々、OGやOBの親たちが打合わせして行いました。 準備としては、はじめのことば、乾杯、ケータリングのお料理、手作りのフルーツポンチ、 そして参加者の自己紹介、サックス演奏やOGやOBの親たちの劇、リコーダー演奏などの出し物、 最後にキャンドルサービス、サンタさんからのプレゼントなどを計画し、 サンタさんにもプレゼントを持ってきてもらうようにお願いをして・・といろいろと手はずを整えました。 毎年開いているクリスマス会なので、まあ慣れたものとも言えますが、 やっぱりちゃんと準備をして、出し物も決めて、プログラムしてというと 会の楽しさはずいぶんと違います。 親の劇は台本片手にその場で決まったキャスティングでよく知っているお話を演ずるのですが、 その後はわたしとMさん、MAさんの3人のOG、OBの親たちで こういう会は子ども達が保育所を離れて大きくなると |
2000年12月09日 00時00分00秒 |
コンテンポラリ・ダンス
2000年12月06日(水) 0138 |
12月に入ると休日の予定ももちろんですが、 平日、仕事が終わってからのスケジュールも毎日一杯つまってしまって、 忙しいことこのうえないのです。 忘年会やパーティなどと共にコンサートやパフォーマンスなどを聞いたり見たりするために、 それほど遠出するわけではないのですが、いろいろないベントに参加することも多くなります。 今日は津田梅子をテーマにした創作ダンスの公演があり、 前は見逃していたのが再演されるというので見てきました。 津田梅子の成長、内面の葛藤などを表現し、女性のこの100年の歩みを想起させるダンスでした。 音楽と共に身体表現するということは踊り手の身体が実体として存在することからくる どうしようもない強さを感じてしまいました。鍛える身体はすごいね。 「踊る」っていうことはわたしはとても好きなのですが、ふだんはなかなか恥ずかしくてできません。 踊るにはそれにふさわしい身体がやはり必要でしょう。 でもそんな見せる踊りではなくても自分の中には素直に「踊りたい」という気持ちが存在するのです。 なにか楽しそうな音楽を聞くと、家ではむすめ1と一緒に 身体を動かして、顔を動かして、音楽と一緒に踊ってしまいます。 そういう時はとっても楽しい! 沖縄の人々がなにかにつけて手を降りながら踊っているのを見ることがありますが、 ああいう文化ってとても素敵だと心の中では思っているわたしです。 TOP |
2000年12月06日 00時00分00秒 |
楽典講義
2000年12月05日(火) 0137 |
月に1度、銀座のヤマハに通うMYROTですが、 今日は練習の後、誘われてすぐそばのライオンでビールを飲んで帰ってきました。 リコーダー講習会のこと、リコーダーキャンプのこと、lunch timeのおすすめのお店のこと、 などなどビールを飲みながら、にぎやかに楽しくおしゃべりしました。 今回は今年最後の練習でしたので、まだ師走早々ですが「よいお年を!」なんて言って別れました。 帰りは我が家の近くまで同じ方向のTさんと一緒でした。 わたしは楽譜を見ながらリコーダーを吹いてはいても、音楽の発達・歴史、伝統を守るということ、 |
2000年12月05日 00時00分00秒 |
チャペルにて
2000年12月04日(月) 0136 |
「一緒にリコーダーを吹いてみましょうよ」 という職場の同僚、いや、わたしの所属部署とは別の部署の上司と、 職場の学校のチャペルでリコーダーを吹いてみることになりました。 昨年、職場で学生のために催されたクリスマスソングパーティでわたしたちの「Cherry Pie」が リコーダー演奏をしたのを聞いて、リコーダーの練習を始められ、 通っていらっしゃる教会のメンバーとアンサンブルを楽しまれるようになったそうなのです。 最近改装されたチャペルでリコーダーを吹くとどんな音がするんだろう、と思っていたのですが、 |
2000年12月04日 00時00分00秒 |
元気でいこうね!
2000年12月01日(金) 0135 |
毎年恒例となっている高校の同級生との忘年会がありました。 福岡出身の私たちですが、この時期、首都圏にいる同級生との忘年会を開いているのです。 今年はなんと50名以上もの参加があり、とてもにぎやかな会になりました。 久しぶりに逢う同級生たち。 知っている顔も知らない顔も、変らない顔も、誰だったっけ?って顔もありましたが、 受験期の子どもを持つ人、単身赴任している人、ずいぶん恰幅のよくなってる人、シワの増えた人、 まだ小さな子どものいる人などなど、高校を卒業して以来25年も経っているのです。(あ、年がバレる!) 今回初めてこの会に参加した人もあり、そういう人の挨拶を聴くと、ああ、みんな頑張ってるんだなぁと思います。 高校生のころ、学生服を着、セーラー服を着たあの頃の私たち…。 その面影が感じられながらも、すっかりおじさん、おばさんになって今日の日に集いました。 みんな、いろいろとあるもんね。楽しいことも、つらいことも、いろいろあるもんね。 でもやっと私たち、人生の折り返し地点を過ぎたばかりなんじゃない。 まだまだ先は長いよ。みんな、頑張って元気でいこうね。 一緒に歌った「スーパージェッター」や「宇宙少年ソラン」は楽しかったね! また来年、元気で逢いましょう! TOP |
2000年12月01日 00時00分00秒 |