2000年12月19日(火) 「プロジェクトX」
2000年12月16日(土) 肉じゃがの「肉」
2000年12月15日(金) 好き嫌い
 

 Key-Mamaの ひ・み・つ・日記 



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2000年12月13日(水) 久々の「Cherry Pie」
2000年12月09日(土) 「黄色いさくらんぼ」
2000年12月06日(水) コンテンポラリ・ダンス
2000年12月05日(火) 楽典講義
2000年12月04日(月) チャペルにて
2000年12月01日(金) 元気でいこうね!

「プロジェクトX」       2000年12月19日(火)
0143
今年の3月からNHKテレビで放送されてきた「プロジェクトX」という番組のファンです。
毎回欠かさず見ているというわけではないのですが、
見る度にプロジェクトを組織し、目標達成のために過酷な試練を乗り越えてきたプロジェクトのリーダー、
そのリーダーと一体となって働いたメンバーたちの血と汗と涙の物語に
とても感動します。見ているわたしもいつも涙が出てきて困るのですが、
我が家のむすこたちもこの番組のファンで中島みゆきのテーマ曲、エンディング曲も心にしみて、
そしていろいろな困難にも立ち向かっていこうという気持にさせてくれる名曲が大好きです。

今日は「女たちの10年戦争」〜男女雇用機会均等法誕生〜が語られました。
優秀な大先輩の女性たちが、なんとか形にし、創り出さなければならない!と
使命感に燃え、子育てのこと、家族のことなど身を引き裂かれるような思いで
日々格闘しながら取組んだ「男女雇用機会均等法」の誕生までを描いた番組でした。
そのプロジェクトのリーダーとなった赤松さんは
いつも笑みをたやさない、にこにこしたお顔の方でした。
進まないプロジェクトに対して、絶望を表明した部下の女性に対して、
映画「マイフェアレディ」の中の「運が良けりゃ」を歌ってみせたという彼女に、
リーダーの1つの理想を見たように思いました。
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2000年12月19日 00時00分00秒
肉じゃがの「肉」       2000年12月16日(土)
0142
みなさんのご家庭では肉じゃがを作るときに、使う「肉」は牛肉ですか?
豚肉ですか? それとも他の肉?
わたしは九州出身という土地柄もあるのだと思うのですが、
肉じゃがの「肉」は牛肉以外には考えられません。
しゃぶしゃぶの肉も絶対に牛肉と決まっています。
カレーだって実家では基本的には牛肉のカレーだったと思います。

わたしが東京に出てきて、肉じゃがに牛肉以外を使うというのを聴いた時は、
ちょっとしたカルチャーショックでした。
しゃぶしゃぶの肉は今も牛肉しか使いませんが、
カレーに入れる肉は牛肉以外に鶏肉ということも多いですし、
たまには豚肉も使うことがあります。
昨日、好き嫌いのことを話した後なのですが、
その地方で肉じゃがの肉には何を使うかとか、ほかにも土地土地によってお雑煮が違っているように、
子どものころから慣れ親しんでいるその地方の食べ物に捕らわれることって結構多いのだと、
今日の夕食のメニュー、肉じゃがを見ながら食文化を考えてしまいました。
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2000年12月16日 00時00分00秒
好き嫌い       2000年12月15日(金)
0141
子どもの頃、わたしは干しぶどうと干し柿が苦手でした。
干し柿はあまりしょっちゅう食べるものでもありませんし、「いらないよ」と言えば済んでしまうものですが、
干しぶどうは少々問題ありでした。ぶどうパンが学校給食に時々出されたからです。
わたしは好き嫌いがごくごく少ない方ですし、食いしん坊なのですけど、
子どものころに、赤い箱入りのたぶんアメリカ製だったと思うレーズンをいただいても、
一応「ありがとうございます。」とはお礼申し上げるのですが、
食べてみることさえ、しなかったはずです。
干し何とかというのが苦手だったのです。
でも干しアンズや干しバナナ、干しりんごなんかは良く食べていたと記憶しているので、
干し何とか全般ば苦手だったわけではありませんでした。
そのころの学校給食にぶどうパンというのがあって、
これは一般的には普通の食パンよりも甘みがあったりするので、
そんなに嫌われるメニューでもなかったのですが、
わたしにとってはぶどうパンなんて存在しなくてもよいと思えるほどの嫌いな食べ物でした。
そのパンが出ると、なんとか干しぶどうの入っていない部分を少〜しだけ口に入れて食べることはできましたが、
それでもやっぱりそこも干しぶどうの味がするので、
だんだん気分が悪くなりそうで、飲込んでしまう程でした。
そうやって干しぶどうはわたしが積極的に食べる食べ物ではなかった時期がしばらく続きました。

でもいつの頃からでしょう、干しぶどうが苦手でなくなったのは・・・。
今はぶどうパンは好きですし、我が家でパン焼き機が活躍していた数年前は良く作ってもいました。
干し柿だって今は食べられないものではありません。
年をとると共に食べ物の好き嫌いは一層なくなってきたのです。
食わず嫌いということはわたしにはあまりなくて、なんでも試してみたい方なのです。
といっても下手物食いではないつもりですが、子どものころには食べられなかったもの、
避けていたものを、今は自由に食べることができます。
今から思えば、食べ物というのは、かなり人の偏見とも関係するもので、
本来の味やおいしさとは別の文化的なバイアスのかかったものであると言えます。
子どものころよりもいろいろな食べ物を自由に食べることができるようになった自分と
そのまわりの環境は単に好き嫌いのあるなしとは別に、
とても嬉しいものだと思います。小さい時は珍しく、高価でめったに食べられなかったものが、
今は身近にあふれている時代ではありませんか。
食べ物の好き嫌いの多い人はまた、人に対しても好き嫌いが激しいのではないかとも思っています。
美味しいものを美味しく食べたいのが人情ですが、
好き嫌いはあっても、全然受け付けないというのでなく、
嫌いではあるけれど、吐き出したり、初めから残したりすることなく、食べてしまう
という方がわたしは好きですし、うちの子ども達にも残さず食べるように言っています。
親の好き嫌いがやはり子どもに影響すると思うので、
できるだけ何でも食べてやろう精神で好き嫌いなくとにかく試してみる!というやり方で行くつもりです。
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2000年12月15日 00時00分00秒
久々の「Cherry Pie」       2000年12月13日(水)
0140
昨年、学校で開かれたクリスマスソングパーティでデビューした職場のリコーダーアンサンブル
「Cherry Pie」ですが、今年もまた教職員、学生ともに楽しむクリスマスパーティに参加して
リコーダー演奏することになりました。
このところメンバーが揃わず、練習もお休みの状態が続いていたのですが、
「クリスマスパーティで演奏しませんか?」と今までのメンバーやアンサンブルを一緒にやりたいという
新たな人にも声をかけてみたら、なんとか4人の面子が揃い、
アンサンブルができることになりました。
リコーダーは一人で吹いても、楽しくないのです。みんなでやるから楽しい!って面がかなりあるよね。
そのクリスマスパーティで演奏するために、本番の数日前から昼休みと終業後の時間に
練習をかさね、本番に備えていました。
メンバーはかおるさん、ひろこさん、きょうこさん、それにわたしです。
きょうこさんは新しいメンバーですが、
彼女は昨年の「Cherry Pie」の演奏を聴いて、リコーダーを始められたようです。
譜面を読み、指を動かして楽器を演奏するのは老化防止には最適の趣味ということで
教会に通うお仲間とともにリコーダーの練習をなさっているそうです。
「リコーダーをやると、人に逢いたくなるのよね」と彼女がおっしゃるように、
また他のアンサンブルの仲間を求めていらしたところだったのです。

クリスマスキャロルを数曲演奏するために、本番前の数日間、練習しましたが、
練習すればするだけ短期間でも上手になれるし、本番はドキドキすると言っていたメンバーだったけれど、
案外本番での演奏が一番よかったような気もしますから、きっと本番に強いのでしょう。
演奏する方も、聴いている方も楽しい演奏だった(?)と思います。
クリスマスにちなんだお話に、ダンスやゲームあり、出し物としてマジックあり、
サックスでの「snow Christmas」の演奏あり、ヴァイオリン演奏、
歌のご披露、そしてリコーダー演奏と楽しいプログラムのパーティでした。

最後は夜空に美しく輝く大きなクリスマスツリーのイルミネーションの下で
キャンドルサービスをしながら「Silent Night」を歌い、
みんなで輪になって握手をするという心温まる場面もありました。
こんなクリスマスパーティは、学生のみなさんにとってはきっと学生時代の良い思い出になることでしょう。
ほんとうに楽しくて、そして心が温かくなる集いでした。

こういう集いを設けて、プログラムを作るっていうのはレクリェーションとしてとても大事なことだと、
今さらながらに思います。
「こんなパーティなんてダサイよね」と思っていた時代のわたしもあったのだけれど、
このごろは素直にこんなレクリェーションの機会を作りだすことって、
どんな場においても大切なことだとつくづく思います。
シラケちゃいけないね。
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2000年12月13日 00時00分00秒
「黄色いさくらんぼ」       2000年12月09日(土)
0139
毎年今頃催される、職場内にある保育所のクリスマス会が開かれました。
現役で保育所に通う子ども達とその親、お世話してくださっている保育士さん、
OGやOB達、そしてその親、そしてその昔保育所でお世話してくださっていた保育士さん達など、
総勢50人近い人が集まってクリスマス会を開きました。
会の準備は我々、OGやOBの親たちが打合わせして行いました。
準備としては、はじめのことば、乾杯、ケータリングのお料理、手作りのフルーツポンチ、
そして参加者の自己紹介、サックス演奏やOGやOBの親たちの劇、リコーダー演奏などの出し物、
最後にキャンドルサービス、サンタさんからのプレゼントなどを計画し、
サンタさんにもプレゼントを持ってきてもらうようにお願いをして・・といろいろと手はずを整えました。
毎年開いているクリスマス会なので、まあ慣れたものとも言えますが、
やっぱりちゃんと準備をして、出し物も決めて、プログラムしてというと
会の楽しさはずいぶんと違います。

親の劇は台本片手にその場で決まったキャスティングでよく知っているお話を演ずるのですが、
いろんなアドリブをきかせながらドタバタとやりました。
「7ひきのこやぎ」を演じたのですが、おとーちゃんが作ってくれたお面をみんなでつけて、
わたしもおとーちゃんもこやぎになって、舞台(?)を逃げ回り、狼さんに食べられました。
やっている方も見ている方も楽しい会でした。

その後はわたしとMさん、MAさんの3人のOG、OBの親たちで
「黄色いさくらんぼ」というグループ名をつけて恒例のリコーダー演奏をしました。
ちょっと編曲のかっこいい「ジングルベル」など全部で3曲演奏しました。
この演奏のために何日か前にMさん宅に集まってけっこう熱心に練習したりしたんですよ。
こんな出し物もいろいろあってやっぱり保育所のクリスマス会はこうでなくちゃ・・
て思ったパーティでした。準備も片付けも大変といえば大変だけれど、
楽しく会を開くためには準備は必要だなぁと思ったものです。

こういう会は子ども達が保育所を離れて大きくなると
跡絶えがちになったり、もう参加しなくなったりするのですが、
みんなけっこう楽しみにしていて、50人近い人たちが集まってくるのです。
我が家は家族5人みんなで参加して楽しく過ごしました。子ども達もとても楽しかったようです。
OG、OBたちも高校1年の男の子と女の子を筆頭に中学3年の女の子、中学2年の男の子など
大きくなった子ども達も参加し、生後2ヶ月の赤ちゃんから
いろいろな年齢の子ども達がたくさん集まりました。
みんな「さくらんぼ保育所」で遊んだ「さくらんぼ」の子ども達です。
そして親も保育士さんも学生さんもみんなでかかわった「さくらんぼ」です。
こんなクリスマス会を開けたこと、参加できたことは、
とてもうれしく幸せなことだなぁと、しみじみと思った冬の夜でした。
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2000年12月09日 00時00分00秒
コンテンポラリ・ダンス       2000年12月06日(水)
0138
12月に入ると休日の予定ももちろんですが、
平日、仕事が終わってからのスケジュールも毎日一杯つまってしまって、
忙しいことこのうえないのです。
忘年会やパーティなどと共にコンサートやパフォーマンスなどを聞いたり見たりするために、
それほど遠出するわけではないのですが、いろいろないベントに参加することも多くなります。
今日は津田梅子をテーマにした創作ダンスの公演があり、
前は見逃していたのが再演されるというので見てきました。
津田梅子の成長、内面の葛藤などを表現し、女性のこの100年の歩みを想起させるダンスでした。
音楽と共に身体表現するということは踊り手の身体が実体として存在することからくる
どうしようもない強さを感じてしまいました。鍛える身体はすごいね。
「踊る」っていうことはわたしはとても好きなのですが、ふだんはなかなか恥ずかしくてできません。
踊るにはそれにふさわしい身体がやはり必要でしょう。
でもそんな見せる踊りではなくても自分の中には素直に「踊りたい」という気持ちが存在するのです。
なにか楽しそうな音楽を聞くと、家ではむすめ1と一緒に
身体を動かして、顔を動かして、音楽と一緒に踊ってしまいます。
そういう時はとっても楽しい!
沖縄の人々がなにかにつけて手を降りながら踊っているのを見ることがありますが、
ああいう文化ってとても素敵だと心の中では思っているわたしです。
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2000年12月06日 00時00分00秒
楽典講義       2000年12月05日(火)
0137
月に1度、銀座のヤマハに通うMYROTですが、
今日は練習の後、誘われてすぐそばのライオンでビールを飲んで帰ってきました。
リコーダー講習会のこと、リコーダーキャンプのこと、lunch timeのおすすめのお店のこと、
などなどビールを飲みながら、にぎやかに楽しくおしゃべりしました。
今回は今年最後の練習でしたので、まだ師走早々ですが「よいお年を!」なんて言って別れました。

帰りは我が家の近くまで同じ方向のTさんと一緒でした。
音大出身の彼女に今回は電車の中でしっかりと楽典の基礎の基礎を教えてもらい、
楽譜を読むってこと、調による曲の色合いなどのこともいろいろと教わりました。

わたしは楽譜を見ながらリコーダーを吹いてはいても、音楽の発達・歴史、伝統を守るということ、
古楽について、作曲家、指揮者、編曲家のそれぞれの役割や意味など、
全然わからずに曲を吹こうとしていたんだなぁということがわかりました。
長調、短調の見分け方や和声の成り立ちなども、高校の時は音楽クラスで楽典のテストなんかも受けた覚えはあるのに、
単にテストのためだけに覚えたものだったので、すぐに忘れてしまって今、実際には何の役にも立っていないのです。
そういう意味では教養というものがないのはたいへん恥かしいことですが、
リコーダーを吹き始めてやっと、音楽をやる上で必要なこととして意識に上ってきたものであり、
いわゆる音楽の常識を知らずにリコーダーを吹いていることが大変恥かしいことだったことに気がついたわけです。
あぁ、そういうことだったんだ!と初めて気がついたのは、なんとも間抜けですが、
知らなかったことを知ること、わたしの前に大きな新しい世界が拡がっていることに、
また新たな喜びを感じた、夜の中央線の電車の中でした。
Tさん、ずいぶん間抜けな質問もいっぱいしたかもしれませんが、いろいろ教えてくださってほんとうにありがとう!
これからもどうぞよろしくお願いしますね。
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2000年12月05日 00時00分00秒
チャペルにて       2000年12月04日(月)
0136
「一緒にリコーダーを吹いてみましょうよ」
という職場の同僚、いや、わたしの所属部署とは別の部署の上司と、
職場の学校のチャペルでリコーダーを吹いてみることになりました。
昨年、職場で学生のために催されたクリスマスソングパーティでわたしたちの「Cherry Pie」が
リコーダー演奏をしたのを聞いて、リコーダーの練習を始められ、
通っていらっしゃる教会のメンバーとアンサンブルを楽しまれるようになったそうなのです。

最近改装されたチャペルでリコーダーを吹くとどんな音がするんだろう、と思っていたのですが、
人のいないチャペルではかなり良く音が響いて、なんだか上手に聞こえます。
まぁ、こんなところでリコーダーを演奏するチャンスはないものかしら・・と思ってしまいました。
こんど、ポジティフ・パイプオルガンが寄贈されたので、それのお披露目の演奏会も開かれますが、
身近にこんなにきれいに聞こえるホールがあったのかとうれしくなりました。
後はリコーダーの腕だけですが・・・
同僚と一緒に吹いてみたクリスマスソングはとても心温まる音色でした。
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2000年12月04日 00時00分00秒
元気でいこうね!       2000年12月01日(金)
0135
毎年恒例となっている高校の同級生との忘年会がありました。
福岡出身の私たちですが、この時期、首都圏にいる同級生との忘年会を開いているのです。
今年はなんと50名以上もの参加があり、とてもにぎやかな会になりました。
久しぶりに逢う同級生たち。
知っている顔も知らない顔も、変らない顔も、誰だったっけ?って顔もありましたが、
受験期の子どもを持つ人、単身赴任している人、ずいぶん恰幅のよくなってる人、シワの増えた人、
まだ小さな子どものいる人などなど、高校を卒業して以来25年も経っているのです。(あ、年がバレる!)
今回初めてこの会に参加した人もあり、そういう人の挨拶を聴くと、ああ、みんな頑張ってるんだなぁと思います。
高校生のころ、学生服を着、セーラー服を着たあの頃の私たち…。
その面影が感じられながらも、すっかりおじさん、おばさんになって今日の日に集いました。
みんな、いろいろとあるもんね。楽しいことも、つらいことも、いろいろあるもんね。
でもやっと私たち、人生の折り返し地点を過ぎたばかりなんじゃない。
まだまだ先は長いよ。みんな、頑張って元気でいこうね。
一緒に歌った「スーパージェッター」や「宇宙少年ソラン」は楽しかったね!
また来年、元気で逢いましょう!
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2000年12月01日 00時00分00秒

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