ちかごろのこと…        2000-02-06  更新
★2000年が明けてみると、なんだかいろんなことが…
年明けのY2K問題はたいしたことなくて、いつものようにお正月を過ごすことができましたが、2000年の1月は我が家にはいろんなことがありました。生まれて初めての救急車同乗体験も含めて、波瀾の2000年のスタートのような今日このごろ……。

わたし
1月のわたしのメインイベントはなんと言っても「多摩ムジカアンティカ」の発表会でした。今年は楽しかったというよりも、力不足を思い知らされた発表会でした。まあ普段の実力から考えても当然ということかもしれませんが、口やお腹が痛くなるくらい練習しないといけなかった…というのが反省です。やっぱりお正月に怠けてしまったのがいけなかったかな。力不足は練習で補うしかなかったのに…。やればやっただけのことはきっとあるはずです。もちろん演奏するセンスってのも大切なのでしょうが、練習しないと吹けないわたしとしては毎日の練習をあらためて心に誓った発表会の後でした。
 12月には我が家に29インチのテレビが登場したのに続いて、2000年になってからは呼び出しが鳴ったら、「ハ〜イ」って返事すると受話器を取らずに話せるという子機2台付きの電話機とか、TMAのメンバーの奥さま(tiddyさん)の作っていらっしゃるwebページに載っていた T-FALの把っ手の取り外しできるお鍋セット、極め付けはミニコンポと録再型MDウォークマンが我が家にやってきました。みんな前から欲しかったものなのですが、どうしよう、どうしようと考えていました。「やっぱり買おう!」と思い立ってからすぐに、どれもわたし一人で買いに行ったものです。お鍋のセットを買ったのは近くのダイエーですが、電話とオーディオ製品は近くの電器屋さんに行って、電話は3時間、オーディオ製品は2時間かけてあれこれと考えて決めて買ってきました。録再型MDウォークマンは前からリコーダーの練習、アンサンブルの練習や個人レッスンを録音したいと思っていたのですが、1月の終わりに「ノンキー・プロジェクト」の練習に出かけ、そこで演奏した曲を録音したのがやはり録再型MDウォークマンでしたので、「やっぱり必要!」と翌日、ミニコンポと共に購入しました。
 ミニコンポでやっと少しはマシな音でCDが聴けたり、そのCDをMDにダビングしたり、カセットテープのものを聴いたりしていますし、録再型MDウォークマンでリコーダーの練習を録音しては聴きながらやっています。テープレコーダーでの録音よりもずっと音が良くて、MDに録音したものは、わたしがそこで吹いているように聞こえる、とオットさんも申しておりました。
 子機2台付きの電話の導入で我が家の電話機&ファックスは4台となり、どこでもすぐに電話が受けられ、またかけられるようになりました。
 T-FALのお鍋セットは鍋自体に把っ手がついておらずワンタッチで着脱できる把っ手をつけるので、使わない時は把っ手をはずして鍋が重ねられてスッキリしますし、把っ手をはずせば我が家のガスオーブンにも入れられるし、穴あきのふたは茹でこぼしにとても便利です。だいたい我が家のお鍋がお釈迦になった原因は、把っ手を焦がしてしまったからなのです。うっかり火を強くし過ぎたり、となりのレンジの火のために鍋の外側の把っ手が焦げたりしたので、把っ手をはずして火にかけていれば把っ手を焦がす心配もありません。また以前、片手鍋などは把っ手に引っ掛からないようにと把っ手の向きにも気をつけて鍋をレンジに置いていましたが、その気づかいもいらなくなります。把っ手が外せるので使った後はきれいに洗えます。鍋に残ったものはシール式のふたをしてそのまま冷蔵庫に入れることもできます。…と今のところはいいことばかりです。今回買った2つのセットを合わせると、鍋4つとフライパン2つ、把っ手2つ、穴あきのふた1つ、シール式のふたが4つで値段は約1,5000円ならお特ではないでしょうか? お鍋1つでそのくらいの値段のものもいっぱいあるでしょう。でもその便利なお鍋を使ってお料理つくんないとダメよ、Key-Mamaさん! というわけで「Key-Mamaんちの新入荷まとめてあれこれ」でした。
 さて毎年悩まされる花粉症は今年は花粉の飛散量が去年の7〜10倍と聞いたので、今まで病院には行ったことがなかったのですが、今年は1月半ばすぎにアレルギー科の医院へ行き、アレルゲンを調べてもらうための血液検査もし、投薬を受けました。この日から薬を飲み始めて2週間と少しですが、2月に入って目が痒かったり、くしゃみが少し出たり、鼻水が少々タラーということはありますが、早めの手当てで調子は上々です。アレルゲンは杉花粉が主でひのき花粉が少々ということがわかりました。今年のこれからの数カ月、どのような毎日となるでしょうか……。花粉症仲間のみなさん、気を確かに持ってこれから頑張っていきましょうね。


オットさん(父さん)
年明け少ししてから仕事が忙しく、いつ寝ていつ起きていつ食べてるんだか、という生活しているオットさんですが、〆切に間にあって、次の〆切までの合間にはちょっとだけホッとしてます。でもむすこ1の交通事故、むすこ2のマラソン大会、わたしのリコーダーアンサンブルの発表会でビデオ撮影してくれたり、むすめの保育園の送り迎えなど、仕事が忙しい中にも家族それぞれのいろいろな場面でほんとに良く付き合ってくれています。
 オットさんとは一緒に暮らして19年、結婚して17年目になります。そろそろ親と一緒に暮らした年月よりも長くなってきていますが、わたしが初めて入った喫茶店でかかっていた「竹内まりや」の曲を聞いて「これって伊東ゆかりかと思った」っていうきっかけから話し始めたお客同志だった1980年3月19日のあの日からもうすぐ20年になります。結婚する前に一緒に暮らしたことは良かったと思っていますし、暮らすってことは、恋愛とイコールでないこともあるから、暮してみてわかった「暮らしやすい」ということが、今までの生活の土台となっているのだと思います。お金もなく貧しい時もあったけれど、ジョンとヨーコの「DOUBLE FANTASY」を毎日聴いていたあの頃、キース・ジャレットの「ケルンコンサート」を聴いて、うれしくなっていたあの頃…。映画「モンパルナスの灯」を見てモジリアニとジャンヌのように…と思っていたあの頃…。テレビの「北の国から」を一緒に見てはとても感動していたあの頃…はずいぶん前のことになるのですね。あの頃、かわいかった(?)Key-Mama以前のわたしも、おばさんとなって気も強くなりズーズーしくもなって、暮らしの中の細々したことで、何かにつけて喧嘩(?)することも多いこの頃ですが、喧嘩する程仲が良いっていうように、でもそれ以上に仲良くして、今年もやっていきましょう。ついこの間は、ラジオでかかった「竹内まりや」を聴いて、「やっぱり竹内まりやだね」って思わず一緒に言ってうなずいたのがなんだかとてもうれしかった…。Key-MamaことWaga-Mamaによく付き合ってくれるオットさんは、めったにいるもんじゃあありませんものね。仕事ももちろん大事だけれど、わたしのオットさんであり、みんなの父さんとして、代わりはないんだから、身体はほんとに大事にしてくださいね。


むすこ1(13歳)
冬休み最後の日、1月10日…今年は成人の日でしたが、その日にむすこ1は交通事故に遭ってしまいました。一人で自転車に乗って、近くの友達のところに遊びに行く途中に小さな4つ角で車とぶつかり、5〜6mも飛ばされたとのことでした。電話連絡を受けて現場に行った時はちょうど救急車が出るところで、わたしとオットさんが同乗して救急病院へ向かいました。飛ばされて右半身で地面に落ちたので、顔の右半面の挫傷、打撲で顔の骨にひびがはいり、また右肘は脱臼していました。病院での検査の結果、脳にはたいしたダメージを受けておらず、脱臼はすぐに医師にもとのように入れてもらい、幸いなことに5日間の入院で済み、無事退院できました。顔の傷や腫れなどが良くなるのには退院後もしばらくかかりましたが、事故から1ヶ月近くたった今は顔も腕もほぼ元通りのようになっています。家族みんな、とても心配しましたが、良くなってよかったー!、生きててよかったー!でした。
 わたしの実家の福岡の母に事故の後、電話して交通事故にあったけれど無事だったことを話したら、翌日の午前中に「いまから東京にいくからね」と職場に電話が入り、「ええ?」と思う間もなく、「お昼過ぎにお宅に着くからね」といってガチャン。孫が無事だと知って東京の我が家にくるチャンスとばかりに福岡から飛んできました。70歳に近づいた今もこういう行動力はまだ衰えていませんでした。むすこ1は福岡のおばあちゃんが大好きで、おばあちゃんが我が家に来ると小さい頃からいつも一緒のお布団に寝ていました。そのおばあちゃんが文字どおり飛んできてくれたので、とてもうれしかったのでしょう。心強かったのでしょう。おばあちゃんの1週間の滞在の間に退院することもできて、その晩からもう中学生のむすこ1はさすがに同じ布団にということはなかったけれど、当然のように同じ部屋に寝ていました。交通事故は大変だったけど、福岡のおばあちゃんに会えたのはほんとうにうれしいことだったむすこ1でした。
 生後10ヶ月の時に化膿性髄膜炎に罹って呼吸が止まったとき、わたしとオットさんとで一緒にそう願ったように、12年経ってまた、今度は救急車の中で、「生きててさえくれれば…」と一緒に念じた今年の成人の日でした。


むすこ2(11歳)
1月23日は小平市の第25回少年少女マラソン大会でした。「朝のマラソン練習がちょっとおろそかになっているんじゃないの?」とわたしが言うと、むすこ2は早くも予防線を張っており、「僕はね、勝とうと思って走ってないの。参加することに意義があると思ってるから…」なんていう会話を大会の2・3日前にかわしておりました。「目標のタイムには後30秒縮めないといけない」とオットさんとむすこ2とが話していたのを聞いて、「きっと走り込みが足りないのだろうなぁ、今年はどうかなぁ」と思っていました。
 お天気も良く、気温も上がった当日、5年生男子は170人くらいのエントリーがあり、3グループに分かれてのレースで、むすこ2は第3グループで走りました。レースの前にはオットさんが第1、第2グループのトップのタイムを計っていたので、むすこ2にだいたいのペースを伝えていました。5年生男子は小平中央公園の1周600メートルのコースを3周半、2100メートル走ります。第3グループのレースが始まると、むすこ2は1周めでは5〜6位につけ、2周めでトップにたち、3周めでは2位以下に大きく差をつけて走っていました。3周終わって、あと半周の時にはラストスパートでかなりのスピードで走っているのが見えました。そのスピードはとても3周走った後には見えませんでした。結果は大会新記録で1位になり、表彰式では金メダルをもらってとても嬉しそうでした。1昨年は2位で銀メダルをもらい、「色が気にいらない」と悔し気でしたが、今年はそれ程の疲れも見せずに走ってニコニコしていました。きっと全力を出して走り切って、ゴール直後はゼイゼイもしていたのですが、満足感が顔に表れていました。家族の応援の声も聞こえていたし、オットさんの「ここからスパートだ!」の声も良く聞こえていたようです。本当に成長を感じました。わたしは表彰式の最中に、午後からのリコーダーアンサンブルの発表会のために会場を後にしなければなりませんでした。「よ〜し、今度は母さん、がんばるぞー!」と思いながら。
 翌日登校すると、みんなから「おめでとう!」って言われたようです。ほんとにおめでとう! 頑張れてよかったね。今年は年明け早々からお風呂が壊れたり、むすこ1が交通事故に遭ったりと一難去ってまた一難という具合でしたが、これを吹き飛ばしてくれたのがむすこ2でした。金ピカの金メダル、我が家の宝物です。


むすめ1(4歳3ヶ月)
むすこ1の交通事故を心配して上京してきた福岡のおばあちゃんの来訪を喜んだのはやっぱり女同志のむすめ1もでした。むすこ1が入院中、おばあちゃんと一緒のお布団に寝るのはむすめ1でした。そして一緒に入るは恥ずかしいというおばあちゃんのいうことそっちのけで、一緒にお風呂に入りもしたし、休みの日のお昼にはおばあちゃん、わたし、むすめ1の女同志、女だけで近くのレストランに行き、美味しいものも食べたりしてきました。
 「もう4歳なんだもんね。赤ちゃんじゃないんだもん。」と自分で自分に言い聞かせて、いろいろな場面でお姉ちゃんらしいところを見せてくれますが、まだまだ「抱っこ!」もたくさんあってその間を行ったり来たりしています。
 むすこ1の交通事故の一報を聞いたときは、「死んじゃったんじゃないの?」なんて言ってましたが、救急車に同乗して病院に行った父と母がいない間はむすこ2と二人でちゃんとお留守番していました。お兄ちゃんがご飯も食べさせてくれたそうで、二人でむすこ1のことを心配していたのですけど、まだ顔の傷が痛々しく、ギブスをして退院したむすこ1に「痛い?」と聞いていましたが、無事に帰ってきたので兄妹でとても喜んでいました。
 そして今日は久々にむすこ1と一緒にスイミングスクールに行き、進級証をもらって来たので得意気に「これ、もらってきたんだよー。なんて書いてあるかよんでー。」って父さんにせがんでいました。


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