ちかごろのこと…        2000-06-01  更新
★むすこ1の厄年??…
前回この家庭通信を書いたのは2月初めでしたが、もう4ヶ月も経ってしまいました。
前回はむすこ1の交通事故での入院をお知らせしたのですが、今回はまたまた……。
波瀾の2000年のスタートから半年もたたないのに、いったい???と思っている
今日このごろ……。



わたし
 2月からの花粉症のおかげでこの4ヶ月は、身体が24時間体制で花粉と戦っているからか、何だか毎日とても疲れていました。睡眠時間を多めにとることになったので、この4ヶ月の間は朝晩の我が家でのネットサーフィン、ホームページづくり、メール書きなどはいつもにくらべるとかなり少なめ。電話料金の通知、領収証の金額が如実にそれを物語っておりました。もう6月ですから、一時の杉花粉の時のようなひどさはないものの、血液検査で若干反応していた檜花粉がまだ残っているのでしょうか、くしゃみや鼻のむずむずがまだ少し続いています。もう花粉は飛んでいないとは思うのですが、抗アレルギー剤を服用するのをまだ止めることができません。でももうあとほんの少しでしょう。

 さて4月にはまた1つ年を重ねましたが、その誕生日を迎えたすぐ後、4月半ばからは近くの地域センターにある国際交流協会主催の夜の英会話のクラスに通うことにして、うん十年ぶりの英会話という新たなスタートをしてみることにしました。中学や高校のころは、英語が大好きでESSにも入っていたというのに、大学にはいってから話す中身のなさに愕然とし、もちろん話したいことがあってもそれを英語で伝えられないもどかしさに自信を失なって、だんだん英語から遠ざかる生活になってしまっていました。

 今度通うことにした英会話のクラスは一応日常会話を話す人たちというめやすで募集されたクラスで、ついていけないかもしれないなぁ、ヒアリングの練習にはなるかなぁととても心配しながらでしたが、思いきって応募してみたのです。募集に対して応募者は2倍くらいだったので、抽選だったそうですが、運良く選ばれて週1回、夜1時間半クラスに参加することになりました。アメリカ人の女性のインストラクターやクラスのメンバーの自己紹介から始まった第1回めでしたが、勤めをリタイアされた男性の参加が多いのに驚きました。他には40代から50代とおぼしき女性も数名、その中でフルタイムで働くのはわたしひとりだったと思いますが、夜のクラスだからでしょうか、他の方たちもパートタイマーで働いていらっしゃる方たちでした。またおそらく20代の最年少の女性はフルタイムで勤めていらっしゃるということで、男女は半々といったところですが、年齢はバラエティに富んでいました。特に決まったテキストを使っての授業ではなく、日常の中の体験や思ったこと、時事問題などをみんなで話し合っています。こんな勉強はほんとに久しぶりでした。わたしもいつか英会話を習いに行きたいと思っていたのですが、仕事が少しは忙しくなくなってから、子供がもうちょっと大きくなってからなどなどと、もうちょっと……してからと始めるのを延ばし延ばしにしていたのです。市報に案内が載っていたのを見て、えいや!と思いきってトライしてみることにしたのでした。

 ボキャブラリが豊富であれば、あれこれと単語をつなぎあわせて言いたいことも言えるのでしょうが、これは英語でなんていうのかな? 単語が出てこない〜、単語力がないなぁ、と思うことがしょっちゅうで、話の内容から推察してインストラクターの方が、いろいろな単語を教えてくださるので、身近な、だけれどなかなかすぐには出てこない単語の数々を、少しずつ覚えているような状況です。文法も単語も間違っているのじゃないかという恐れが強くて、なかなか話せなかったのですけど、でもせっかくみんな英会話の練習のために来ている人たちなのですから、ここでわたしもなるべくおしゃべりになって、もう変な自意識は捨てて、「わたしはこう思います」、「それはどういう意味?」 「そのことばの意味を教えて…」といろいろな話題について英語でできるだけおしゃべりをしようと、頑張っています。クラスのみなさんもそれは同じで、一生懸命聞いて、話してとそれがとても楽しいディスカッションになっています。英語で話すのは難しく、訥々としてはいますが…。なぜ英会話かって? それはちょっとひ・み・つ。


オットさん(父さん)
 新聞の時代小説の挿絵やあれこれの仕事で忙しい今年ももう5ヶ月が過ぎ、そのペースにも慣れて、家族もいつ寝ていつ起きていつ食べてるんだかわかんないという生活しているオットさんの日常に適応しています。忙しさに比例してオットさんにかかってくる電話やFAXの数も増えました。オットさんにとっては原稿を送ってくるFAXは商売道具としてもなくてはならないものですが、今までのFAXが壊れてしまったので、すぐに近所の大型電器店に走り、子機付きの普通紙FAXを買ってきました。普通紙のFAXってそのまま書けたり、紙が丸まったりしないのでいいですね。

 前回の家庭通信ではわたしが新しく子機2台つきの電話を購入したことを書いていましたが、わたしとオットさんとがそれぞれに必要と思う電話機をお互いに相談せずに買ってきたので、それほど広くない我が家なのに、これで我が家の電話機は5台にもなりました。中でもリビングルームには手を伸ばせばすぐに電話に出られるようにと、子機を2台とすぐそばに親機もおいています。2階のオットさんのアトリエにFAX、寝室に子機1台。この他にも外に出る私はPHS、子供や家族同士の連絡用のPHSがもう1つ。10年前、いや5年前にはこんなに電話機があちこちにある生活なんて想像できませんでしたよね。なんかすごいことになってきましたね。

 自宅で仕事をしているオットさんは昼間に自宅にかかってくる電話も当然、受けることになるのですが、その量が結構多いらしいのです。男の声で電話に出ると、すぐに「奥様いらっしゃいますか?」と名乗るより先に言うそうです。毎日毎日、住宅販売、住宅メンテナンス、教材セールス、塾や家庭教師、お墓のセールスなどなどから電話がかかってきて、「お電話いただきましたが、うちではセールスはお断りしていますので」と答えなきゃならないような電話が1日10本近くもあるそうです。仕事の電話、子どものサッカークラブの連絡など必要な事柄の電話もあるので、毎日いろんな電話に出ているわけです。この他にもわたしから、「残業なのでむすめ1の保育園のお迎えに間に合わないから、おとーちゃん行って!」なんていう電話も入るわけで、そんなこんなの電話の対応も大変らしいです。でも我が家の電話はISDN回線でもなく、ふつーのジーコ、ジーコ、ジーコのアナログ回線。電話機がいっぱいあったって、かかってくる電話は常に1本しかないのですよねぇ。


むすこ1(13歳)
 前回の家庭通信で自転車に乗っていて車と衝突し、交通事故にあって入院しましたが、その事故の怪我も完治し、元気に毎日をすごしていたむすこ1でした。でも救急車に乗って救命救急センターへ行った1月10日からまだ半年もたたないうちに、再度、救急車で近くの救急病院に入院することになってしまいました。

 5月下旬の土曜日の夜から発熱し、日曜日は40度の高熱、嘔吐、下痢で寝たきり。夜に解熱剤を使ったので、少し熱が下がったものの、また翌朝には熱が上がったので月曜日に近所の小児科を受診しました。内服薬の抗生剤を処方され、一旦帰宅していたのですが、小児科から電話があって血液検査の結果が出て状態がよくないので、点滴した方が良いとのことでした。再度小児科に出向き、水分補給の点滴、抗生剤も入れてもらって帰宅しました。月曜日はわたしは出勤していましたので、オットさんがむすこ1をかかえて車に乗せ、車で病院を往復したのでした。

 その夜7時頃、寝ていたむすこ1がトイレに起きた後で、フラフラ状態で倒れ、その後硬直し痙攣を起こしました。倒れる時はちょうどわたしが抱えて床に寝かせたのですが、直後に首がのけぞり、顔つきも変わったのですぐに痙攣を起こしたことがわかりました。オットさんを呼び、様子を見てもらいながら、わたしはすぐに119に電話して救急車を呼びました。電話している間にむすこ1は痙攣もおさまり、意識もはっきりとしてきましたが、やっぱり救急車で病院に行った方が良いと判断して、きっと入院だろうからと最低限のものを手早く準備し、ピーポーピーポーの音を響かせて来た救急車にオットさんがむすこ1をかついで乗せ、そのままオットさんが付き添っていくことにしました。夜でしたから、むすこ2、むすめ1を置いていくわけにも行かず、オットさんに行ってもらいましたが、両親がこの時間にそろっていてよかったなぁと思いました。

 比較的近くの大きな救急病院に運ばれ、血液検査、髄液検査などをした後、細菌性の腸炎ということでそのまま入院。オットさんは夜中の1時頃に帰宅しました。熱が出たときは風邪だろうと初めは思っていたわたしとオットさんでしたが、次には高熱、嘔吐、痙攣などからむすこ1が生後10ヶ月でかかり一命をとりとめた細菌性の髄膜炎かもしれないと思っていましたので、細菌性の腸炎、つまり食中毒ということには思いが至りませんでした。高熱、下痢、嘔吐で脱水症状を起こしていたのです。病院ではすぐに点滴をしてもらい、抗生剤も投与されて、翌日には熱はずいぶん下がっていましたが、3・4日は下痢も続いていて、かなり消耗し弱っていたむすこ1でした。歩くこともできず、病室の中のポータブルトイレへの移動がやっとという状態でした。口からは食事はもちろん水もとることを禁じられ、数日の禁食を経て、5分粥から全粥、ご飯と食べられるようになり、下痢もおさまってきたので、点滴の管も外されてとしだいに回復してきました。

 結局、救急車で運ばれてから9日間入院した後、退院して通常の生活に戻ることになりました。むすこ1の通う中学ではセンター方式の給食ですが、中学で同様の症状を呈した生徒も他になく、家族の他の者は元気でいるので、食中毒らしいとは言っても、なにが原因かもわかりません。結局は細菌の種類も特定できないままでした。食中毒なんて思いもよらないことでしたが、もうそろそろ暑くなってきていますし、これからは余計に気をつけないといけない時期です。O157でなくとも食中毒は恐いですよ。今年はもう2度も救急車で運ばれることになってしまったむすこ1は、2000年の今年は厄年にあたっているのでしょうか。


むすこ2(11歳)
 この4月からは小学6年生になり、小学校最後の年を過ごすことになりました。小学2年生のころからむすこ1と共に近所のピアノ教室へ通うようになって3年半。はじめは熱心に練習もしていましたが、むすこ1が小学校卒業と共にレッスンを止めたのにともなって、このごろはサッカーに熱中するあまり(?)ピアノには気持ちが向かなくなったようです。それでもわたしが「ピアノを習ったことはいつか役にたつことがあるかもしれないよ。練習しなさいとは決して言わないし、レッスンの時に弾くだけでもいいからもう少し続けてごらんなさい。」と言い、そして先生にも「ちっとも練習してこない生徒で先生も大変かもしれませんが、もう少しこのまま続けさせてください。」とお願いしてこの3月までなんとか続けてきたのですが、いよいよ「止める!」という限界に来てしまいました。

 「止める」ならば交換条件としてむすめ1をピアノ教室に連れていってくれるようにと言うと、「それでもいいよ」というので、むすこ2がむすめ1をピアノのレッスンに連れていってくれることになりました。むすこ1は中学生でもう身長も高いので自分の自転車のハンドルに子ども乗せを取り付けてむすめ1を乗せることも危な気ないのですが(恥ずかしがらずにそうやって乗せてくれるむすこ1なのです。)、むすこ2は妹を自転車に乗せる自信もまだなかったし、子ども用のマウンテンバイクに乗っていたので荷台もついていなくてむすめ1を乗せるのは無理でした。ですからむすめ1の手を引いて、歩いて近所のピアノ教室へ通うことにしていたのです。まだ4才のむすめ1はそんなに早く走ったり歩いたりもできないので、教室への道は我が家からは15分〜20分くらいかかります。しばらくはそうやってレッスンの時間に遅れたり、ギリギリだったりしながら歩いて行っていたのですが、むすこ2に新しい大人用の何段切り替えかのスポーツ車を与えたら、後ろの荷台にむすめ1を乗せて自転車でピアノ教室に行けるようになったのです。車輪に足をはさまないように、むすめ1は足をなるべく「がに股」に開いて、むすこ2のお腹に手をまわしてしがみついて乗っています。いやいや、お兄ちゃん、頑張っていますね。途中で同級生の女の子たちに少々からかわれたりすると、ちょっと恥ずかしいのだけれど、でもちゃんと忘れないでむすめ1をピアノのレッスンに連れていってくれる頼もしいお兄ちゃんです。


むすめ1(4歳7ヶ月)
 「あしたはひまわりさん、おやすみなの?」と金曜日の夜はかならず聞いて確認してくるむすめ1。「ひまわりさん」とはむすめ1の通う保育園のクラスの「ひまわり組」のことです。保育園に行くのは好きなむすめ1ですが、わたしの仕事が休みの土曜、日曜はいつもの保育園ではなく、いったいどこへ行けるんだろう?って楽しみにしているようです。土・日も仕事のあるおとーさんのことを考えると、むすめ1とわたしが出かけてなるべく仕事しやすくと、思ったりもするので、リコーダーアンサンブルの練習に出かけたり、スイミングやその帰りに買い物に行ったり、公園に遊びにいったりして、なんだか土曜日曜はむすめ1とベッタリ一緒にいるような気がします。

 4月末から5月の連休はおとーさんは仕事、むすこ2はサッカーの試合や練習などでしたので、むすこ1、むすめ1、わたしの3人で多摩都市モノレールに初めて乗って多摩動物公園の無料開放の日(4/29、5/5)に2回も出かけました。モノレールの高いところからの眺めはよかったし、遠く雪をかぶった富士山がクッキリ見えたのもとてもきれいでした。多摩動物公園は山坂もあるので、久しぶりに行くとちゃんと歩けるかどうかで小さい子どもの成長が分かります。月に1度、一緒に電車に乗ってリコーダーアンサンブルの練習に出かけていく際も毎回確実に歩くのが早くなったり、階段の昇り降りがスムーズになったりという進歩がみられています。

 このごろはお絵描きに熱心で、はじめのうちは形にならない線をひいていたのが、だんだんきれいな丸が描けるようになり、アンパンマンが描けるようになり、お人形さんのような女の子が描けるようになってきました。塗り絵もこのごろははみださないようにきれいにぬれるようになってきています。遊びの中でいろいろとやってみて自然な形で練習しながらだんだん進歩していく子どもってとても素晴らしいなぁって思ってしまいます。今は女の子らしく(?)最近買ってもらった「リカちゃん」のお人形やシャンプー台のおもちゃで遊ぶのがお気に入り。髪をとかしたり、ゴムで結んだり、お洋服を着替えたりのお人形さんごっこ。女の子ってこうやって大きくなっていくのかなぁ…って同性の親としては思うのですが、ちょとおしゃれに感心持ち過ぎじゃない!って思ったりのこのごろです。

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